歴史・沿革

HISTORY

台灣独立建国聯盟日本本部年表

太字は日本に関するもの
太字は台湾独立建国聯盟日本本部に関するもの

1945年

8月15日
日本、連合国に降伏
10月25日
マッカーサー連合国最高司令官が9月2日に発令した一般命令第1号に基づき、蒋介石の中国国民党軍が台湾を占領

1947年

2月28日
二・二八事件発生、国民党軍により約三万人の台湾人が殺される

1949年

5月19日
台湾に戒厳令を公布
10月1日
中華人民共和国成立
12月9日
国民党政権が台湾に亡命し、台北を「中華民国」の首都に制定

1951年

9月8日
日本と連合国、サンフランシスコ平和条約に調印。日本は台湾を放棄したが、台湾の帰属は決定されず、地位は未定のまま。

1960年

2月28日
王育徳を中心に台湾青年社が結成され、雑誌『台湾青年』を創刊。『台湾青年』は日本語で執筆された月刊誌(第8号までは隔月刊)で、2002年6月に500号で停刊するまで続いた

1963年

5月1日
台湾青年社を台湾青年会に改称、中央委員会を設置、黄昭堂を委員長に選出

1964年

7月23日
陳純真スパイ事件が起こり、黄昭堂以下7人警視庁に逮捕される
9月20日
台湾で、「台湾自救宣言」を発表した彭明敏教授以下三人が逮捕される

1965年

8月
辜寛敏を台湾青年会委員長に選出
9月
台湾青年会を台湾青年独立連盟と改称

1966年

1月25日
在日台湾学連誼会『台生報』を創刊(現在の発行人は連根藤)
6月
米国で全米台湾独立聯盟成立
10月
『台湾青年』(月刊)第71号より中文版に。(戦後の中国語教育を受けた留学生が増えたので、より多くの読者を確保するため)

1967年

1月
台湾青年独立連盟、 日本語版『台湾』(月刊)創刊
8月25日
台湾青年独立連盟幹部の林啓旭と張栄魁、強制退去令で入管に収容
8月30日
東京地方裁判所、強制退去の執行停止を命令
9月7日
張・林両君を守る会成立(代表=宮崎繁樹明治大学教授)

1968年

3月27日
柳文卿事件。入国管理局は在留許可の更新に訪れた台湾青年独立連盟幹部・柳文卿を突然逮捕し、台湾へ強制送還しようとした。柳の強制送還を阻止しようとした、黄昭堂以下盟員10人が羽田空港で逮捕される
4月4日
「張・林両君を守る会」が「在日台湾人の人権を守る会」に発展

1970年

1月1日
台湾独立聯盟(略称=台独聯盟)成立。日本の台湾青年独立連盟、全米台湾独立聯盟、欧州台湾独立聯盟、カナダ台湾人権委員会、台湾自由聯盟(台湾の地下組織)の5団体が統合して、総本部を米国に置いた。蔡同栄が主席に就任
1月3日
台北市で軟禁されていた彭明敏教授は、日本本部宗像隆幸の働きにより、秘密裏に台湾を脱出し、スウェーデンに亡命。
1月
月刊『台湾』を廃刊にし、『台湾青年』を一カ月おきに日文と中文で発行
4月24日
黄文雄(日本本部前委員長とは同姓同名の別人)、ニューヨークで蒋経国に発砲
6月
台湾独立聯盟日本本部、許世楷を委員長に選出

1971年

5月17日
台湾独立聯盟日本本部の小林正成、台北市で台湾の民主化を訴えるビラを撒き、逮捕され、警備総司令部に3か月留置される(8月31日に釈放、帰日)
7月
キッシンジャー米大統領補佐官訪中。米国、反中から親中に転換
10月
中華人民共和国、国連に加盟、中華民国を追放

1972年

9月29日
日本、中華人民共和国と国交を樹立、中華民国と断交
12月
台湾独立建国聯盟日本本部、 周英明を委員長に選出

1973年

2月
台湾独立聯盟総本部、張燦鍙を主席に選出
2月
在日台湾同郷会設立。会長郭栄桔副会長・王育徳)政治色のない台湾人団体を作る目的
4月5日
『台湾青年』第150号から日文誌に。中文誌は米国本部が発行

1974年

12月
台独聯盟日本本部、林啓旭を委員長に選出

1975年

2月28日
前年12月に元台湾人日本兵・中村輝夫(スニヨン)がインドネシアのモロタイ島で発見されたのを機に、「台湾人元日本兵の補償問題を考える会」成立。
代表=宮崎繁樹、事務局長=王育徳
以後、台独聯盟日本本部が陰の実働部隊となって活動。
4月5日
蒋介石死去、蒋経国、中国国民党主席に就任して実権を掌握
9月7日
世界台湾同郷会聯合会 ウイーンにて成立(初代会長=郭栄桔在日台湾同郷会会長)

1977年

7月24日
台湾の政治犯を救う会、東京で成立。
8月17日
台湾人元日本兵士の補償を考える会 東京地裁に提訴。
8月16日
台湾キリスト長老教会、人権宣言「台湾を新しい独立国にすべき」と発表
12月
台独聯盟日本本部、黄昭堂を委員長に選出

1978年

5月20日
蒋経国、総統に就任
6月
台湾人元日本兵の補償の件で国会議員懇談会発足

1979年

1月1日
米国、中華人民共和国と国交、中華民国と断交
4月
米国で「台湾関係法」成立
12月10日
高雄美麗島事件、美麗島社幹部を一斉逮捕

1980年

2月28日
美麗島事件で逮捕された林義雄弁護士の母と6歳の双子の姉妹が刃物で惨殺され、9歳の長女は瀕死の重傷を負った
4月24日
台湾キリスト長老教会を弾圧、総幹事の高俊明牧師らを逮捕

1981年

7月3日
警備総司令部に連行された陳文成博士(米カーネギー・メロン大学助教授、31歳)の惨殺死体、台湾大学構内で発見

1982年

2月26日
台湾人元日本兵の補償について、東京地裁判決「請求棄却」敗訴。東京高裁に控訴3月 米国で台湾公共事務会(FAPA)成立、代表、蔡同栄。〈台湾独立建国聯盟〉米国本部が中心となった組織で、台湾問題を米国議会に訴える活動を展開。

1984年

2月
台独聯盟日本本部、許世楷を委員長に選出
10月15日
江南(『蒋経国伝』を書いた中国人作家)台湾国防部情報局長の指令により、中国系暴力団により米国で暗殺される
12月
日本政府が1985年度予算に、「台湾人元日本兵問題検討費」500万円計上

1985年

7月
台湾独立聯盟世界中央委員会を東京で開催、新しい運動方針を決定
8月26日
東京高裁判決 台湾人元日本兵の補償を求める控訴を棄却。敗訴。(吉江裁判官が政府に対し、立法で解決するように付言)
9月4日
最高裁判所へ上告
12月
1986年度予算に台湾人元日本兵士問題企画検討費2000万円計上。

1986年

5月20日
ケネディー、ペル、ソラーズ等の米議員が、台湾民主化促進委員会を設立、共同声明で①戒厳令の解除②国会の全面改選③総統の直接民選などを要求
9月28日
戒厳令に基づく政党禁止を犯して、民主進歩党(略称=民進党)を結成
10月
李遠哲にノーベル化学賞、台湾人として初のノーベル賞
11月10日
第1回民進党大会、党主席に江鵬堅を選出
12月6日
増員立法委員選挙で73人中、民進党が12人当選。増員国民大会代表改選選挙で84人中、民進党11人当選

1987年

5月12日
台湾独立聯盟を台湾独立建国聯盟と改称(通称はいずれも台独聯盟)
6月
許世楷を台独聯盟主席に選出
7月15日
38年間続いた戒厳令を解除
11月10日
民進党第2回大会で姚嘉文を主席に選出、「台湾独立を主張する自由」を決議
9月18日
日本の国会において「台湾住民である戦没者遺族等に対する弔慰金に関する法律案」成立。(実施に関する法律案は1988年4月に成立)
台湾住民である日本の旧軍人または旧軍属であった戦没者の遺族、戦傷病者、その遺族に対して、弔慰金・見舞金一律二百万円を支給することを決定。

1988年

1月13日
蒋経国総統死去。李登輝副総統、総統に就任
12月
『自由時代』誌(編集発行人=鄭南榕)、許世楷・台灣獨立建國聯盟主席起草の「台湾共和国憲法草案」を掲載

1989年

4月7日
叛乱罪で召喚され、出頭を拒否した鄭南榕(41歳)が警官隊包囲の中で焼身自殺
5月19日
鄭南榕の葬式に参列していた詹益樺(32歳)総統府前で焼身自殺
10月
郭倍宏・台独聯盟米国本部主席、台湾に潜入、民進党大衆集会で講演。大衆の妨害で警察は彼を逮捕できず、郭は12月に台湾を脱出

1990年

1月1日
台独聯盟中央委員会「2年以内に指導部を台湾に移転する」と発表
3月16日
戒厳令下で初めての大規模な学生運動(中正紀念堂広場で大学生が民主化を要求して座り込みを開始)
3月21日
国民大会、李登輝総統を次期総統に選出。李総統、座り込みの学生代表を接見して民主化を約束。翌日、座り込み中止。
6月28日
~7月4日
李登輝総統、国是会議を開催。①万年議員を来年末までに退職させる②総統を民選とする③台湾省主席、台北市長、高雄市長を民選にする、などの目標を決定
7月
李応元・台独聯盟米国本部副主席、台湾に潜入して公開活動にも参加(翌年9月2日に逮捕される)

1991年

5月1日
内乱は終わったとして、動員戡乱時期臨時条款を廃止。中国共産党に対する叛乱団体の認定を取り消したが、台独聯盟に対する叛乱団体の認定は変らず
7月30日
法務部、中央委員(34人)以外の台独聯盟のメンバーの帰国を認める
10月13日
民進党党員代表大会、基本綱領に「台湾共和国樹立と新憲法制定を住民投票で決定する」条項を加える事を決定
10月20日
台独聯盟台湾本部、台北市で成立。潜入帰国して大会を指導した王康陸・総本部秘書長を現場で逮捕
11月13日
張燦鍙・台独聯盟主席「国民党は暴力を行使しているが、台独聯盟は平和路線を貫く」と声明
12月7日
張燦鍙台独聯盟主席、台湾に潜入を図り逮捕される
12月10日
国際人権デー、台湾に潜入した何康美・台独聯盟欧州本部主席と毛清芬・台独聯盟日本本部執行委員が台北集会に登壇。周叔夜・南米本部主席が高雄集会で登壇
12月21日
初めての国民大会総選挙、当選者国民党254人、民進党66人

1992年

1月10日
高等法院、台独聯盟台湾本部のメンバー4人に刑法百条「予備内乱罪」で2年~3年6ヶ月の懲役判決
5月16日
刑法百条改正、台湾独立を主張することを合法化。張燦鍙主席を除く台独聯盟幹部9人を釈放
6月27日
台独聯盟台湾本部の決定で、張燦鍙総本部主席、台湾本部主席を兼任、李応元総本部副主席も台湾本部副主席を兼任
8月1日
政治犯取締まりの最大の特務機関・台湾警備総司令部を廃止
8月
台独聯盟日本本部、黄昭堂を委員長に選出
10月15日
台独聯盟日本本部の幹部15人台湾へ、黄昭堂委員長だけは帰台を認められず
10月22日
台独聯盟世界中央委員会、初めて台湾で開催。台湾共和国制定運動の推進、国民党政権のマスメディア独占打破など、10大政策決議、台湾のテレビは国民党が支配する公営テレビしかなかったが、この決議に基づいて、「民視テレビ」会社を設立、電波の割り当てを要求。
10月24日
張燦鍙・台独聯盟主席、仮釈放
11月25日
黄昭堂・日本本部委員長、ブラックリストが解除されて帰台
12月19日
初めての立法院総選挙、当選者国民党102人、民進党50人

1993年

4月3日
陳重光・元台独聯盟米国本部主席、ブラックリストが解除されて帰台
10月12日
王康陸・台独聯盟秘書長(52歳)台北市郊外で不可解な自動車事故で死去

1994年

12月3日
台北市長に陳水扁(民進党)当選

1995年

1月15日
台湾研究フォーラム、東京で成立(現会長=永山英樹)
2月28日
李登輝総統、国民党を代表して二・二八事件について公式謝罪
6月16日
台湾で初めて民間テレビ、民視(蔡同栄董事長)を認可
8月6日
台独聯盟世界中央委員会、黄昭堂(日本本部委員長)を主席に選出
12月2日
立法院選挙、当選者国民党85人、民進党54人、新党21人

1996年

3月8日
中国、台湾近海にミサイル4発を発射
3月9日
クリントン米国大統領、台湾近海に2空母艦隊の派遣を命令
3月23日
初めて国民による総統直接選挙、李登輝(国民党)当選、彭明敏(民進党)2位。国民大会選挙、当選者国民党183人、民進党99人、新党46人
4月17日
クリントン米大統領と橋本龍太郎首相、日米安保共同宣言に署名、「アジア太平洋地域には不安定性と不確実性が存在する」として、日米安保体制の強化で合意

1997年

2月28日
台北市の平和公園に二・二八記念館を開設
11月29日
5市18県で市長・県長選挙、以下の台独聯盟員3人当選
張燦鍙=台南市長、陳唐山=台南県長、李進勇=基隆市長

1998年

 
早くから台湾に支局を置いている産経新聞に加えて、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、東京新聞、中日新聞、NHK、共同通信、時事通信が台北支局を開設
12月5日
台北市長に馬英九(国民党)が現職の陳水扁を破って当選。高雄市長に謝長廷(民進党)当選
立法院選挙(定数を225人に増員)当選者、国民党123人、民進党70人、新党11人、その他21人
12月31日
中華民国の領海線(12カイリ)を発表、中国大陸と金門、馬祖は含まず

1999年

5月14日
中華民国籍所有者にも義務づけられていた台湾への入国ビザを廃止
7月9日
李登輝総統、中国と台湾の関係ついて「国家と国家、少なくとも特殊な国と国の関係」とドイツの対外公共放送で語る。中国猛反発
7月
中国政府、中性子爆弾と小型戦術核兵器の開発に成功したと発表。
9月21日
台湾中部でマグニチュード7・3の大地震、死者二三〇〇人以上
11月7日
台独聯盟日本本部、黄文雄を委員長に選出

2000年

3月18日
総統選挙で陳水扁(民進党)当選、宋楚瑜(無所属)2位、連戦(国民党)3位
3月31日
宋楚瑜、親民党を結成
5月20日
陳水扁総統・呂秀蓮副総統就任
5月
羅福全(台独聯盟中央委員)、台北駐日経済文化代表処代表(駐日大使)に就任

2001年

3月17日
第1回世界台湾人大会を台北市で開催(招集人=郭重國)
6月11日
メールマガジン「台湾の声」(編集長=林建良)開設
「正名運動」を開始。在日台湾人の外国人登録証明書の国籍を「中国」から「台湾」に改める事を要求、最終目標は、「中華民国」から「台湾共和国」への改名
8月12日
李登輝を精神的指導者とする台湾団結聯盟(略称=台聯)成立
11月15日
李登輝友の会成立、会長=黄崑虎
12月1日
立法院選挙、当選者民進党87人、国民党68人、親民党46人、台聯13人、その他11人

2002年

6月
台独聯盟日本本部発行の月刊『台湾青年』、一応の役割を果たしたとして第五〇〇号にて停刊(創刊は一九六〇年)
8月3日
陳水扁総統、東京で開かれた世界台湾同郷会で、インターネットを使って台湾から講演。「台湾と対岸の中国は『一辺一国(それぞれが一つの国)』であると発言。
12月7日
台北市長に馬英九、高雄市長に謝長廷、再選
12月15日
日本李登輝友の会設立(会長=阿川弘之)

2003年

9月6日
台北市で湾正名運動デモ(15万人参加)。
10月25日
高雄市で「新憲法制定」をスローガンとするデモに20万人参加。民進党主催、台聯、台湾キリスト長老教会、台独聯盟などが参加

2004年

2月28日
人間の鎖デモ。総代表=李登輝、総指揮=黄昭堂。
総統選挙で陳水扁を支援し、中国との「統一」に反対するため。台湾の南端から北端まで、西海岸に二二〇万人が並んで手をつないで人間の鎖を作った。
3月
人間の鎖デモに参加した中津川博郷・衆議院議員と大江康弘・参議院議員を中心に、47人の民主党議員が「日本・台湾安保経済研究会」を設立。(会長=中津川博郷、事務局長=大江康弘)
3月19日
陳水扁総統と呂秀蓮副総統、遊説中、銃撃され負傷。
3月20日
総統選挙。陳水扁総統候補・呂秀蓮副総統候補(民進党)当選
4月11日
陳唐山・立法委員を外交部長(外相)に任命
6月
日本李登輝友の会『日台共栄』を創刊
 
7月1日
台湾制憲運動発起大会(代表=李登輝、執行責任者=黄昭堂)
7月5日
許世楷(台独聯盟中央委員)、駐日代表(駐日大使)に就任
10月25日
パウエル米国務長官「台湾は国家として主権を保持していない」と発言
11月24日
民主党の「日本・台湾安保経済研究会」は台湾の民主化を支持して4項目を決議①台湾の憲法と国名について台湾の民意を尊重して支持する②台湾のWHOへの加盟を支持③台湾の観光客のノービザを実現する④在日台湾人の外国人登録証明書の国籍を「中国」から「台湾」に変更することを実現する
12月11日
立法院選挙、当選者は民進党89人、台聯12人(与党101人)国民党79人、親民党34人、新党1人(野党114人で過半数)その他10人

2005年

2月
周叔夜(台独聯盟中央委員)駐ブラジル代表(駐ブラジル大使)に就任
3月26日
中国の「反国家分裂法」制定に対する抗議デモを台北市で挙行、百万人以上参加
4月29日
連戦国民党主席、訪中して胡錦濤中国共産党総書記と会談
6月7日
国民大会、憲法改正「立法委員の定数を225人から113人に半減、任期は3年から4年に延長」と国民大会の廃止と承認
9月26日
日本、台湾からの観光客に対して90日以内の滞日ビザを免除

2006年

2月27日
「二・二八事件の最大の責任者は蒋介石」と結論づけた総統府国史館の研究書を出版
7月16日
中国の胡錦濤国家主席は、台湾の連戦国民党名誉主席との会談で「台湾独立に反対し、それを押さえ込んでこそ、中台関係の平和的発展を損なう最大の危機を取り除くことが出来る」と語る
11月3日
台北地検、呉淑珍総統夫人を汚職と公文書偽造で起訴
12月9日
台北市長選挙で郝龍斌(国民党)当選、謝長廷(民進党)2位、宋楚瑜(無所属)は惨敗して政界からの引退を宣言
高雄市長選挙では陳菊(民進党)当選

2007年

1月5日
日本の新幹線技術を採用した台湾高速鉄道、開業、台湾の南北を90分で結ぶ
2月8日
李登輝、講演で台湾の民主化に果たした海外の台湾独立運動を大きく評価
6月1日
李登輝来日、第1回後藤新平賞を受賞
9月
「台湾」の名義で国連加盟を申請。潘基文・国連事務総長は「台湾は中国の一部である」として申請書の受理を拒否。米国政府と日本政府は「潘事務総長の台湾の地位に関する認定は不適切である」と申し入れた。正式な議題として取り上げられず
9月19日
日本と台湾の運転免許を相互承認

2008年

1月12日
立法院選挙、小選挙区制はじまる。定数も225人から113人に半減。当選者は国民党81人、民進党27人、その他5人、台湾団結聯盟0人
3月22日
総統選挙。馬英九・蕭万長(国民党)総統・副総統に当選
5月20日
総統・副総統就任式。馬英九総統、就任演説で「統一せず、独立せず、戦わず」の理念に基づき、「92年合意(一つの中国については中国と台湾が各自に解釈。李登輝元総統はこのような合意はないと否定)に基づいて、中国に和解と休戦を申し入れる」と発表
6月13日
台湾と中国、10年ぶりに直接交渉を再開。台湾の江丙坤・海峡交流基金会会長と中国の陳雲林・海峡両岸関係協会会長、北京で会談
10月30日
民進党「馬英九は台湾を国家ではなく『地区』と規定し、中国と平和協定を結ぶと主張するなど、台湾の国家主権を破壊している」と声明発表
11月3日
中国の陳雲林・海峡両岸関係協会会長訪台。
11月12日
陳水扁前総統、汚職容疑で投獄される

2009年

4月28日
馬英九総統「台湾は1945年10月25日(陳儀・台湾省行政長官と安藤利吉・台湾総督の間で受降式が行われた日)に中華民国に返還され、1952年4月28日調印の日華平和条約で、再確認された」と発言。「台湾の主権帰属は未定」としてきた陳水扁政権の見解を覆す
5月1日
斉藤正樹・交流協会台北事務所代表(駐台湾日本大使)が講演で「台湾の帰属は未定」と話す。馬政権、これに抗議。斉藤代表は「これは個人的見解であり、日本政府の見解ではない」と、発言を撤回
5月
WHOに台湾がオブザーバー参加することが承認される
7月15日
改正入管難民法成立。現行の登録証に代わり3年以内に「在留カード」が交付されるが、台湾人の国籍欄には、日本政府が「政令で定める地域」として「台湾」の表記が認められる。正名運動の成果。
8月8日
台風8号台湾南部に大水害、死者行方不明六五〇人以上
8月30日
ダライ・ラマ訪台、蔡英文・民進党主席、陳菊・高雄市長らと会談
9月11日
台北地裁、陳水扁に無期懲役と2億元の罰金、夫人の呉淑珍に無期懲役と3億元の罰金を判決
12月5日
17県・市長選挙、国民党12人当選(2人減)、得票率47.8%、民進党4人当選(1人増)、得票率45.3%

2010年

11月27日
五都市長選挙(台北市、新北市、大台中市、大台南市、大高雄市)
三都市で国民党が当選したが、総得票率は国民党44.5%、民進党49.9%。民進党が得票数で40万票上回る